2013年10月05日
「ここには昔、川が流れていたのです」【高円寺 となりの歴史散歩 第一回】
街歩きの楽しみのひとつに、暗渠探しがある。
楽しいよね暗渠。
知らないですか、そうですよね。
暗渠(あんきょ)とは、川だったところに何らかの事情で蓋をして、今は道になっているところだ。
かつて川だった、という事情のため、通常の道とはちょっと違うのだ。
第一回はこの、暗渠について取り上げてみることにする。
(この記事は、2012年3月発行の高円寺タウンマガジンSHOW-OFF 46号に掲載した記事に編集を加えたものです)
桃園川緑道
高円寺の南側を横断している暗渠、桃園川緑道。ここはその名の通り、元々は桃園川という川だったところだ。
まだ高円寺周辺が農地だった頃に水源として活用されていた。宅地化が進むと共に、洪水の被害が増えたことから、昭和四十年頃までにすべて地中に埋められ、暗渠になった。
現在は整備され、緑道となっている。
高円寺パルと高円寺ルックの境目にある緑道がそうだ。
パルとルックの境目。よく見ると「旧宝橋」とあり、元々ここが橋だったとわかる。
歩いてみると、住宅地の間をくねくねと、ずっと長く続いており、普通の道とは明らかに違う。
上流は、荻窪駅北側にある弁天池。かつては湧き水があり、桃園川の源流だったが、昭和三十五年頃干上がってしまい、現在では埋め立てられて公園になっている。
天沼弁天池公園。公園内に現在ある池は再建されたもの。
桃園川緑道は、杉並区を横断し、中野区に入り、東中野一丁目あたりで神田川に合流している。
全長約6.5km。散歩に丁度いいので、一度歩いてみて欲しい。
実はもう一本支流があるのです
桃園川緑道はきちんと整備されており、川の名前がついているので、元々川だったことも知っている方が多いだろう。
だがこちらはどうだろうか。
ただの裏道に見えますか?いいえ、実は川の跡。
ここは桃園川の支流だったところだ。高円寺南三丁目三十八のあたりから南側に、地下鉄南阿佐ヶ谷駅付近まで続いている。
現在は馬橋児童遊園として整備されている。かつて歩道の真ん中にいきなり滑り台があった(現在は撤去されてしまった)。
桃園川がまだ暗渠化される前の、昭和十六年の地図には、ここも川として記載されている。
暗渠の特徴いろいろ
地図で見ると明らか
お手元にパソコンやスマートフォンがあれば、GoogleMapなどの地図サービスで、地元の地図を見てみていただきたい。
明らかに道路とは別に、ぐねぐねとした道が続いている場所があったら、それらは元々川だったと考えられる。
完全に塞いであるところ、ないところ
暗渠は、桃園川緑道のように完全に遊歩道などとして整備されているところもあれば、ただ川の上にブロックなどで蓋をした、というところもある。
ブロックで蓋をしたタイプ。
遊歩道として整備されているタイプ。
銭湯が多い
暗渠沿いには銭湯がよくある。排水の関係上、川沿いが都合がよかったのだろうか。
暗渠(手前)の脇に、ほら銭湯(奥)が。見つけるとちょっと嬉しい。
古い建物は裏口側である
桃園川緑道沿いにはあまり古い建物は残っていないようだが、古い建物の場合、元川であった道に対して裏側を向いている事が多い。
通り側が正面、川が裏口になるというのは、生活上当然のことだろう。
この石垣はここが川だった頃の名残じゃないか?そして裏口側である。
知っていると、ちょっと楽しい・・・かも
なんてことのない道も、この道はどこかに水源があって、どこかの川、ゆくゆくは海につながっている、と想像すれば、ワクワクするじゃないか。するのだ。してもいいじゃない。
歴史散歩には想像力が必須なのだ。みなさんも是非、想像力を駆使して、街歩きを楽しんでいただきたい!
この記事を書くにあたって、下記の記事をかなり参考にさせていただきました。
デイリーポータルZ:暗渠歩きのたのしみ